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北京20年目の作家・谷崎光が中国とアジアの本当”をお伝えします。ときどきゲストも!

日本の携帯が世界で負けた、誰も言わない本当の理由 アジアでも人気の中国スマホメーカー、OPPO日本法人社長インタビュー(上)

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 2019年3月末。ソニーがついに中国のスマホ工場の生産を終了した。

 スマホ事業で赤字が続き、将来は閉鎖の予定である。

 ソニーは中国でボロ負けした日本の携帯の中で、唯一頑張っていたメーカーである。

 

   ファーウェイ、OPPOASUS(台湾)……。

 安全性を議論しつつも、今や日本国内でも”中国ブランド”の携帯が台頭してきた。

   

   世界にさきがけて折りたたみ式スマホを発表するのはもう日本メーカーではない。

 北京在住18年になる筆者は、約1年前にオッポジャパンの鄧宇辰社長へのインタビューをおこなっている。

 合わせて、日本の携帯メーカーが中国で、そして世界で失敗した誰も言わない事情についても語りたい。

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中国、北京のOPPOの携帯の地下鉄広告
  • 日本参入で話題の
  • オッポジャパン社長に直撃取材

「実際進出してみて、日本の携帯市場は予想外のことがあった。世界でも日本は、キャリア(通信事業者)のシェアが非常に高い市場。日本のキャリアが長年積み重ねてきた壁をどう崩せばいいのか。これは私個人の感想だけど、日本では信頼関係を構築するのに、思ったよりも時間がかかる。私たち中国のビジネススピードと日本のスピードは違う。さらに人材採用が非常に難しい」(oppojapan 鄧宇辰氏)

 

 2018年4月22日、中国・北京で開かれた“2018年日中未来ラボ(北京和橋会主催)”というイベントで、今、日本参入で話題のオッポジャパン(oppojapan)、鄧宇辰社長に直撃取材をした。

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イベントで語る鄧宇辰社長

 オッポは日本ではまだあまり知名度はないが、携帯(スマートフォン)の販売額ではアジア1位(取材時)、世界で5位の中国のメーカーである。

 残念ながら日本のスマホは、世界ランキングの10位以内にも入っていない。

 

 実はオッポのルーツは、90年代に中国で任天堂ファミコンに似たゲーム機を作って一世を風靡した小覇王というブランドである。

 

 このブランドを作ったのは段永平氏という中国人で、現在はアメリカ在住の有名な富豪投資家である。

 

 段永平氏は広東のつぶれかけていた工場を、ゲーム機の製造やジャッキー・チェンの大胆な広告で救った。そして、社内の数人を引き連れ退職した。95年に同業種の教育機器メーカー“歩歩高”を設立した。

 

 歩歩高の語学学習機は、2000年代はどこの大学の購買部でも売っていた。自分の発音と先生の発音を対比させ、リピートできる。当初はカセットで、後にはデジタルになった。

 

 私も北京大学留学時は2回、買い換えるほど使ったし、今の英語うまい中国人は全員使ってたんじゃないかと思うほど、大ヒットした。

 

 その後、段永平氏がその連れてきた部下たちを社長として独立させたのが、oppovivoといわれている。

 

 ルーツとして、若者マーケティングに強く、vivoも現在シェアは世界5位である。

 いわば、かつては日本のマネをしていた中国の企業に、日本は現在、大きく水をあけられている。

 

  • 誰も言わない
  • 日本の携帯が中国で負けた本当の理由

 

 私が中国に渡った2001年は、ちょうど中国が“携帯大戦争”に突入した時代である。

 

 まさに雨後のタケノコのように携帯ショップができ、当時、日本もSONY,京セラ、東芝、NEC……、20社ほどが中国市場に参入していた。

 

 しかし売り場で見る、日本の携帯はどれもガラステーブルの端に追いやられ、ホコリをかぶっていた。当時、日本と中国では圧倒的な技術差があったにかかわらず、である。

 

 当時、その理由を販売員に聞いてみると、

 

「売れないから。英語だけで中国語が打てないのよ」「使いにくい」「電池の持ちが悪い……」

 

 私は〈えー、それ本当に日本のメーカー製?偽物じゃないか〉と思ったが、まさに正規品だった。

 

 中国は、世界市場である。

 

 日本だと官と企業が一体となり外資参入の壁を高くするが、中国では昔は技術が低かったせいもあり、少なくとも未発達分野の初期は外資を歓迎する(中国への技術移転の、さまざまな仕組みはつくる)。

 

 その中で、他国の各社も最初は実はけっこう“外したもの”を出していた。しかし、彼らはそのうち市場を読みとり、どんどん軌道修正をしていった。

 

 モトローラーもノキアもサムソンもアップルも、中国製のスマホが今のように勃興する前に、少なくとも一度は天下を取っている。アルカテルなどの欧州メーカー(当時)もそれなりにファンをつかんでいた。

 

 しかし日本だけが、「わが日本のすばらしさを知れ」とばかりに、一般の中国人が好まぬ折り畳み式携帯電話をドヤ顔で押し付けてみたり、いらぬ機能ばかりだったりと、かなりトンチンカンだった。かろうじてソニーエリクソンの音楽携帯が一部で認知されたが、基本、最初から最後まで外しまくって、ほぼ全社が撤退した。

 

 

 中国を撤退する日系企業は多いが、どう見ても負けっぷりが異様である。

当時、この状態を日本に伝えたいと思い、日本のメディア各社に声をかけたがOKするところはなかった。本で書いたが、読む人は知れている。

 

 現地の日本の新聞記者に「書いたら?」と言っても、

 

「駐在員がかわいそうですよぉ。通信規格が違うからですよぉ」

 

 その後、“通信規格が違う”サムソンが、中国の携帯市場で大勝利した。

 

 中国現地では日本の官と日本企業と日本メディアが、それぞれ利益誘導で、押したり引いたりコネコネしてたりで “村社会”をつくり、いろんなことがクローズされている。

 自分の中国駐在に伴って、現地の日本の海外天下り団体に嫁さんを入れてもらっていた新聞記者もいたぐらいである。

 

 なぜ日本のメーカーだけが、中国の、いや世界の携帯市場をまったく読み取れず、大きな市場を逃がしたのだろうか。

 (下)に続く。

 

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