InsideAsia

北京20年目の作家・谷崎光が中国とアジアの本当”をお伝えします。ときどきゲストも!

国全体が”老人ホーム”になった日本

 日本は国全体が、老人ホームみたいになったんだなと改めて思った。

 

4月のはじめに日本に一時帰国した。

 今回は大阪の実家に泊まって、足を痛めていた母の世話をあれこれした。

スーパーに行ったら、食品の多くが北京の半額ぐらいで驚いた。家は大阪の中心部でけしてそこが特に安いわけではないのだが……。しかも中国より清潔で安心。

こういう商品をこの値段で出すために、誰が犠牲をかぶっているのか。

 

そして老人というものをひさびさにじっくり観察した。

 

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影から介護職員に忍び寄るおじいちゃん 暮らしのイラスト考案室 ©じぇん

 

そして思い当たったのが、冒頭の日本、老人ホーム説である。

 

 老いるとはどういうことか。

 

①新しいことに対応できなくなる。

中国で何年も前からキャッシュレス、現金を持つのは日本人の集まりに行くときぐらい、という私からしたら、なぜ日本でなかなかキャッシュレスが浸透しないのか、不思議だった。

 

しかしバスに乗り現金を出すのにさえ時間がかかる老人を見たり、スマホを持ったばかりのおかんを見て、悟った。

これ、ガンバレというほうがムリである。

 

老人というのはガンバってももうガンバレないのである。

 昔からやっていることはできる。でも新しいことは”老人ホーム”には無理なのである。

 

②受け入れられるのはホメ言葉だけ。スゲーと言ってほしい。

 

今は元気なシルバー世代も多いが、老人というのは基本的に、もう大きな生活の変化がない。

つまりこれ以上の向上が見込めない。

しかも自分の能力が落ちていることを認められない。イノベーションなんてどこの国の話。頭の中の情報の更新が進まないから、中国は永遠に貧しい国。

 

こういう人が自分に掛けてほしい言葉はなにか。

”肯定”である。

 

「人生、それで良かったんですよ」「そのままでいいんですよ」「昔の男尊女卑にもいいところがあった」etc,etc……。

 

 

 そして彼らをうまく扱いたい、周囲の人はこれを利用する。

老人を手玉に取る一歩上の戦略が、「承認欲求の満足」。

老人は、人から関心は持たれたいが、今の若者のように自分(の写真)にいいねをされたいわけではない。

もっと国とか故郷とか、自分が属していたもので当たり障りのないものがいい。

 

「日本はいい国」「日本は世界から注目されてます」

 「はいはい、がんばりましたねー」「すごいですね」

 

昔、おとんが施設に入ったときに、その看護師さんやマネージャーたちの老人の扱いのうまさに感動したが、今、メディアは総・老人ホームのケアマネとか看護師さん状態。視聴率もPV(ページビュー)も取れるからね。

 

書店に行くのも50歳以上が多くなり、売れる本は”塗り絵”(介護施設で使う)と”右翼本”だとか。

 

 老人の特徴にテレビの言うことを信じる、というのがある。

 

ま、ネットを見ないのもあるが、これは知性がどうこうではなく、体力の問題だと私は思う。

批判的に見るとか、いろいろ論考するとか、というのはエネルギーを必要とする。もうそのエネルギーがないのである。

 

③暮らしはていねい。

もちろん”老人ホーム”も悪いことばかりではない。

暮らしは丁寧。残業と薄給に苦しむ若者たちがコンビニ食で喘いでいるのとはうらはらにたっぷりある時間で、作れる人は美味しいものを作る。

家もきれい。

だけど実は日本の清潔度は昔より落ちている気がする。

目が悪くなるときれいにできないんですよ。

 

そしてイノベーションはされないので、昔のものがそのままある。古いものをいつまでも大事に使う。

 

 

④関心があるのは健康だけ、自分だけ。

 表向きは、日本がどうだとか、政党がどうだとか、少子化がどうだとか、いろいろ言うのだが、本音として関心があるのは、自分の健康と自分のことだけ。

 

だからそれを助けてくれる政党を支持。国全体のことなどは考えない。

利己的になるのも結局は体力がなくなり余裕がなくなってきたせいである。

がんこで保守的になる、というのもそこから来ているかも。

 

判断力も落ちているのだが、それが自覚できない。池袋の痛ましい自動車事故は、書くのもつらい。

 

⑤自分がもう上がらないから、人の欠点を探しにかかる。

 日本に帰るたび、いつも気になることがある。

 私は帰国したら、当然中国の話をいろいろする。

中国滞在が長いから裏もオモテも地方も都会も見ており全然ホメてはない。

できるかぎりフラットに伝えるようにしているのだが、それに対して、別に性格も悪くないふつうの日本人が、必死で中国のネガティブ面を聞いてくるのである。

「でも中国も、老人社会になるんでしょ!」

「○○が☓☓だと聞いた」

 

今回、母もそうだった。

別に中国が良くても悪くても、日本にそう関係ないというか、むしろいいほうが観光客も来るし、日本企業も中国にモノを売ってるしなのだが、そこまで考える余裕は”老人”にはもうない。

 

日本人と接すると、皿の上でバランスゲームをしている人を思いうかべる。他人が上がれば自分が下がる。だから平行でいるために必死で人の足をひっぱるというか……。

 

そもそも中国は人口も体制も違うし、比べられるようなものではないのだが。

 ホメられたもんじゃないところはいーっぱいある。

 

ただひとつだけ、私が心から”中国スゲー”というか、中国人スゲー、と思うことがある。

 

それは奢らないこと。

 

もちろん大陸の中国人たちは”中の人”だから、自分たちの国のダメさをいやというほど知っている。

見かけだけの発展、めちゃくちゃな医療。めちゃくちゃな不動産。汚職。格差。

しかしその”社会主義的最強資本主義”を生かして日本以上の部分も確かにもう出現しているのである。

 

彼らはあこがれの日本に行ってがっかりー、ということも体験している。

先に、銀座で座る外国人たちにがっくり、というツイッターがバズったが、正直いって、今、日本はじめての中国人を銀座に連れて行っても、

(……えっ、こんな小さいタダの通り?)である。

 

ま、そこから日本通の中国人が、「服やす~い」「中国より品質いーい」とかになるわけだが。

 

しかし「老いた日本」を見ても、彼らは日本そのものの悪口をぜったい言わない。

(個人的な体験の愚痴は別として)

4000年の戦乱の国、人も政治も、浮き上がっては沈みを繰り返す国にいて、安定なものは何もないと彼らは心底知っている。

それが、「我々も日本のようにならないようにしなければ」という強い思いによるものであれば、中国はまだ伸びるのである。