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北京20年目の作家・谷崎光が中国とアジアの本当”をお伝えします。ときどきゲストも!

SARSパニック再来か! マスク禁止、最終、報道の1000倍の患者数、北京市長更迭だった頃をつぶさに描いた”中国の「SARS(新型肺炎)報道」には「本当」がない!” 月刊 谷崎光のインサイドアジア No.24

 

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(写真はSARS当時の私の記事。冒頭は中国で就職した友人からのメール)

中国・武漢発の新型肺炎が日本で話題になっている。

北京在住の私、もっとパニックになってもいいのだろうがまったく冷静。なぜならば2003年のSARS(当時、広州発)を経験した身からすれば、なんてことないからである。正直、北京でもマスクをかけた人はほとんどおらず、そう話題にもならない。

当時は本当に怖かった。
私は北京大学の留学生だったが、学内でも教授やその家族が発症。その情報はふせられていたが新聞学科の学生が教授楼の住所と共に学内のネットですっぱ抜いた。
大学は最終的には閉鎖。学生も教授たちも共同生活なので一発で広がる(私は外にマンションを借りていた)。

また北京の医学部の大学生たちが、病院に送り込まれ次々と発症した。
拒否はできず、白衣を着てみなで校庭に並んで、片手を上げ、エイエイオーの雄叫びをあげさせられる。死亡した学生もいた。
WHOが視察に来た折、北京の病院は院内感染の医者や看護師を車に載せ、市内をドライブして隠蔽した。
受診拒否して、逃げた成人の医者もたくさんいる。

大学近くの日系企業の中国人社員も発症したが、報道もなく放置されたまま。まだ路地のような不衛生なところで暮らしている中国人もたくさんいた。昨日たくさん人がいたかと思ったら、今日は全部移動させられ封鎖。

今日はあそこで一人死んだ、あそこの病院では数百人の死体がある、デマのような本当のような噂が流れる。

日本大使館からの情報は、学生たちにはいっさいなし。留学生会はすでにあったが、代表が「聞いても何も返答がない」と嘆いていた。当時はメール網だった。北京大か語言大の誰か一人に返答するか、貼り紙の一つでもすればすぐ皆に伝わるのにそれもない。
他、結婚して現地で暮らしている人々も情報不足に悩んでいた。
他国の大使館は多くが、学生一人ひとりに電話をかけ安否確認を取っていた。クラスの話題で、日本人だけが「まだだ」「ないよー」と言っていた。

日本大使館は大企業や駐在員マンションには早くから貼り紙をしたり、受診先を紹介したり連絡網をつくったりしていたそうで、つまり企業の人以外は国民と思ってないのかな、という気がしたが、今思うと、ここぞとばかりに、未来の天下り先に一生懸命サービスしていたのだろう。

当時、文藝春秋の「諸君!」(今はない)という雑誌に依頼されてこのSARSの件の原稿を書いた。

国というのはそう簡単には変わらない。
おそらく程度は違えど、今回もたぶん同じ経過をたどるだろう。
よければぜひご一読いただきたい。

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